映画「フライト」

デンゼル・ワシントン

映画「フライト」でアルコール依存症のベテランパイロット役を演じたデンゼル・ワシントンは、アメリカ合衆国ニューヨーク州出身の俳優です。これまでに2回アカデミー賞に輝いた名優で、アメリカを代表する映画俳優であると共に、映画監督や舞台俳優も務めるマルチな才能の持ち主です。官僚、将校、ジャーナリストなど、硬派なインテリで真面目な性格の人物を演じる事が多いです。アフリカ系アメリカ人としてはシドニー・ポワチエに続く史上2人目のアカデミー主演男優賞受賞者です。


プロフィール

幼少期~青年期

1954年12月28日、ニューヨーク州マウント・ヴァーノンで生まれました。姉ロリースと弟デイヴィッドの3人兄弟でした。父親のレヴランドはペンテコステ派の牧師で、母親のレニースは美容師として2つの美容院を経営すると共に夫の教会でゴスペル歌手として働く職業婦人でした。両親は人種差別が合法であった公民権法施行前のアメリカで、理不尽なあつかいを受けてきたため、3人の子供たちには可能な限り良質な教育を授けようと必死だったそうです。デンゼルたち兄弟は両親が多忙だったため、放課後や週末はボーイズ&ガールズ倶楽部に預けられ、デンゼルはそこで多くのスポーツに熱中しました。また、母親が経営する美容院でも多くの時間を過ごし、デンゼルはそこで話を作る面白さを客から学んだそうです。デンゼルが14歳の時、両親は離婚。しかし彼は全寮制の学校に入っていたため、その事実はしばらく後になってから知りました。この頃は酷い反抗期で、デンゼルの友人数人が少年院送りになるほどでした。母親はデンゼルを心配し、彼を更生させるために寄宿学校に入れます。このお陰でデンゼルの粗暴なふるまいは後に改善しました。高校を卒業すると、彼はオクラホマ州立大学へと通います。しかし、興味をそそられるものに出会うことが出来ず、すぐに中退します。大学を辞めたあとは、ベビーシッターなど様々な職業を経験しました。これがのちの俳優人生において役作りに大いに役立ったと語っています。1977年にはニューヨーク州フォーダム大学のドラマ及びジャーナリズム学部に入ります。フォーダム大学はバスケットボールの強豪校でもあり、デンゼルはそこでバスケットボールに熱中しました。バスケットボールは今でもセミプロ級の腕前を持っているそうです。大学のサマーキャンプで寸劇の演出を担当したことで演技の世界に興味を持ち始め、ジャーナリズムの学位を取得して卒業後、サンフランシスコのアメリカン・コンサバトリー・シアターで1年間演技の勉強をしました。

オスカー俳優へ

デンゼルが最初にプロの俳優として表舞台に立ったのは、TV映画「ウィルマ」でした。1981年には「ハロー、ダディ!」で映画デビューを果たします。1982年には病院を舞台とした医学ドラマ「St.Elsewhere」に出演すなす。このシリーズは約7年間に渡って放送され、彼が演じた誠実で有能な若い医師の役は、後のデンゼルの印象に大きく影響を与えました。その後デンゼルは、TV・映画・舞台などでいくつかの端役を演じ、1987年にはリチャード・アッテンボロー監督作の反アパルトヘイト活動家スティーヴ・ビコの人生を描いた伝記映画「遠い夜明け」でビコを演じ、初めてアカデミー助演男優賞にノミネートされました。1989年には映画「グローリー」にて、冷静んでありながらも反抗的な元奴隷を演じ、アカデミー助演男優賞を受賞しました。1999年には「ザ・ハリケーン」にて、3つの殺人事件で告発されて約20年間獄中で過ごしたボクサー、ルービン・カーターを演じアカデミー主演男優賞にノミネートされました。この作品については史実との整合性について新聞などのマスコミで論争が巻き起こったものの、2000年のゴールデン・グローブ賞とベルリン国際映画祭にて銀熊賞を受賞しました。そして2000年には、ディズニーフィルムの「タイタンズを忘れない」に主演します。この映画はアメリカ国内だけでも1億ドルを叩き出す大ヒットになりました。2001年には「トレーニング・デイ」にて主演します。この映画ではロサンゼルス市の汚職警官という役柄を正々堂々と潔く演じたことが高い評価を得て、アフリカ系アメリカ人としては史上二人目のアカデミー主演男優賞を受賞しました。2000年代に入ると、デンゼルは自身で監督を務めた映画を発表するなど、映画俳優としてだけではなく、多くの分野で活躍し始めます。2005年には15年ぶりに舞台俳優業にも再チャレンジしており、シェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」にてブルータス役を演じました。2010年には「Fences」で主役のトロイ・マクソンを演じ、トニー賞演劇主演男優賞を受賞しています。2013年には映画「フライト」にて、アカデミー主演男優賞にノミネートされ、3度目のオスカーかと囁かれたものの、受賞は逃しました。しかし、「フライト」での演技は高く評価され、彼のキャリアに大きく刻まれました。現在は、ブロードウェイの新作を準備中だそうです。

私生活

1983年に映画「ウィルマ」のセットで出会った女優ポーレッタ・ピアソンと結婚しました。ワシントン夫婦は4人の子供を授かり、1984年に生まれた長男ジョン・ディヴィッド・ワシントンは、2006年5月にプロフットボールチーム、セントルイス・ラムズと雇用契約を交わしています。また、1987年に生まれた長女のカティアは、名門エール大学に入学するほどの秀才です。1991年に生まれた双子は、オリヴィアとマルコムと名付けられ、オリヴィアはニューヨーク大学に通いながら女優を目指し、マルコムはペンシルベニア大学に通いフットボールをプレイしているそうです。


アフリカ系アメリカ人俳優としてのデンゼル・ワシントン

1992年にデンゼルは、スパイク・リー監督による伝記映画「マルコムX」にてタイトルロールを演じました。この監督は過去最高の批判と絶賛を同時に浴びたと言われる作品で、デンゼルは攻撃的な黒人解放闘士の役を演じ、アカデミー賞にもノミネートされました。この映画は、映画批評家のロジャー・エバートからは「人種間の緊張と対立をあおっているだけだ」と強い批判を浴び、一方で映画監督のマーティン・スコセッシからは「1990年代に作られた映画の内最も素晴らしい作品10本に入る」と高い評価を受けました。デンゼルはこの映画で大きくキャリアを替え、その後同じような役のオファーを多数受けることになります。しかし型にはまった俳優になりたくなかった彼は、同じような役柄のオファーを断ったそうです。また、主役級の人気黒人俳優として、様々なことに配慮しなければならないようで、1995年の映画「バーチュオシティ」では、共演の白人女優ケリー・リンチとのキスシーンを断っています。ケリーはインタビューで「異人種間の恋愛シーンには何の問題も無いので、キスシーンに抵抗はなかった」と答えましたが、デンゼルは「白人男性をターゲットにした映画で白人女性とキスをすれば、あッという間に攻撃の対象にされてしまう」と答えたそうです。ケリーは更に「それはとても恥ずかしいことで、いつか世界が異人種間の恋愛にこだわらなくなる事を待っている」と答えています。こうした白人女性とのキスを断る姿勢は、1989年の映画「刑事クイン/妖術師の島」から始まっています。この映画では唯一、共演のミミ・ロジャースとキスをしたのですが、試写会で黒人女性からのブーイングを浴びてしまい、編集に頼んでカットしてもらったそうです。アメリカでは黒人俳優が長年「型にはまった知能の低い悪党」という役柄か、エンタテイナー、あるいは家族で見られるコメディー映画にしか出演の機会をあたえられなかったのですが、そんな中でデンゼルは極めて独特な地位を築いたことが分かります。デンゼルは誇り高い黒人、目的を持ち強く冷静にいきていく男の姿を多彩な役柄で演じ分けることで、ハイウッドの黒人俳優に対する伝統に抵抗し続けています。1984年にデンゼルは、第二次世界大戦中の米陸軍における黒人兵士間の対立を描いた映画「ソルジャー・ストーリー」に出演しました。黒人コメディアンのエディ・マーフィがハリウッドで大うけしていた時に、デンゼルはコメディーだけが黒人俳優の仕事ではないと主張するため、あえて人種間の緊張を引きずる作品に出ていたのです。現在デンゼルは、他の多くの黒人俳優のようにコメディアンやエンタテイナー、あるいは名悪役として認知されるのではなく、社会派の名優としての地位を完璧なまでに築き上げています。